「医者は神ではない」
なかなかすごいタイトルですが、本屋さんでたまたま見つけた本のタイトルです。

ページを開いて「はじめに」のはじめっから共感できることばかりでした。
『接してみて感じる高齢者の特徴は、はっきり2つに分かれる。
爽やかか、爽やかでないか。
爽やかでない人の特徴は、その人と話しているとエネルギーを吸い取られて疲れる。
それは、話す内容の主語がほとんど「自分」であるからだ。
…(中略)…
この時間は、「忍耐」と「寛容」、「優しさ」の精神を養う絶好のチャンスになっている。
一方、爽やかな人の特徴は、その人と話していると明るい気分になり、元気がもらえる。』
またこれらを、「人から愛を奪う側」と「愛を与える側」としても表現しています。
いきなりズバッとこられました。
自分も診察の時はなるべく患者さんの話を聞こうとします(だから診察時間が長くなってしまいます)。
家庭の不満であったり、こまごました不調であったり長く話が続く場合もあるのですが、でもそれが体調不良の根本原因のヒントにもなったりするのですよね。
ですから話はなるべく聞こうとします。
もちろん診察なのですから患者さんの話を聞くのは当然のことですし、患者さんも自分のことを話すのは当たり前です。
診察のシーンで、医者が「いやぁ、最近調子が悪くってね…」とか「いやぁ、昨日夫婦ゲンカしちゃってね…」とか医者が自分の悩みを患者さんに話始めたら、それはもうドリフの世界です。
上記の通り、家族の不満を話される場合であっても、その話し方であるとか内容、その人の雰囲気によって違うのですよね。
明らかに「陰」のエネルギーが充満しているタイプでは、こっちのエネルギーが吸い取られてしまうケースです。
でも同じ家庭内の不満を話される場合でも、「陰」がない人もいます。
たぶんその違いは、患者さんに少しでも「笑顔」があるかないか、なのかなと思います。
だからこそ自分は少しでも笑顔を引き出そうとします。
笑顔があればエネルギーもちょっとは復活するでしょうから。
だからユーモアも大事だなと思っています。
『爽やかな人の特徴は、その人と話していると明るい気分になり、元気がもらえる。』
とありましたが、これもよくわかる話で、診察しているのに逆にこっちがエネルギーをもらうことがあります。
そんなときは患者さんによく言います。
「逆にこっちがエネルギーもらえました。ありがとうございます。」とか「まぶしいですね」とか「太陽のような人ですね」とか。
感じたことをそのまんま患者さんに言い感謝を伝えます。
なぜそんな人が診察を受けるのは不思議ではありますが、自費診療で受診されたりするケースがあります。あるいは訪問診療の患者さん(高齢者)の方からも、エネルギーをもらうことがあるのですよね。
以前紹介したか忘れましたが、95歳になっても英語やらドイツ語の勉強を新たに始めたりする方がいます。
確かに心臓が本調子ではなくその既往歴もあるから「患者さんという立場」にはなっていますが、その生き様は自分にとってはまぶしいですし、自分の中のお手本です。
診察行く度に刺激やエネルギーをもらいます。
あるいは笑顔が絶えない高齢者の患者さんを診察するのも、こちらはエネルギーをもらいます。
ですから訪問診療においては、診察して医者は患者さんから「ありがとうございます」と言われますが、自分も「ありがとうございます」って言葉をかけて部屋をでることが多いです。
余談ですが一般的に医者は患者さんに最後「おだいじに」って言葉をかけたりしますが、自分はあまり使いません。
外来では「気をつけて」とか、訪問診療では「また来ますね」とか言葉をかけて出てくることが多いですね。
まれに「おだいじに」が適当なことがあるので、その言葉を使う場合もありますが。
結構最後の言葉もどんな言葉をかけるか考えていたりします。
医療職がかける言葉というものは本当に重いのですよね。
それによって患者さんを良いようにも悪いようにもコントロールできちゃったりする力があります。
医者は特にその辺に無頓着な人が多く、安易に患者さんを傷つけることが多いです。
たぶん医者がかける言葉を変えるだけでも、その後の治癒率に大きな差が出てきそうな気がします。
だから不安ばかり煽る医者は、本当に医者なのか?と思ってしまうのです。
本気で患者さんを救おうとしているのか?と。
「救おうとしているから一生懸命危険性を訴えているんだ!」と反論してきそうですが、完全に方法が間違っています。
こういうのは攻撃型で相手のエネルギーを削っていく人間ですね。
そんな医者にかかったら患者さんは不運です。
医者がかける言葉が重要であることは、亡き祖父からの教えでもあります。
心不全に入院していた祖父は、担当医からの冷たい言葉で一気に心がやられてしまいました。
「徹(←自分のこと)にはそんなふうにはなって欲しくない」
との強い願いをその後聞きました。
ついでに言うと「また来ますね」と患者さんに最後にかける言葉も、亡き父からの教えです。
当時100歳になっていたか忘れてしまいましたが、田舎の祖母に会いにいったときのことです。
もうベッド上で横たわっていて、周囲を理解できているのか分かりませんでしたが、帰り際まだ子供だった自分に父がこう言ったのです。
「(おばあちゃんに)また来るね」って声をかけてあげて、と。
小学生の頃だったか中学生の頃だったか忘れましたが、ささいなことだったのですが、なぜかそのシーンが強烈に今でも記憶に残っているのです。
大人になっていい言葉だなと思い、今存分に活用させてもらっています。
ちなみに祖父も父も医療職ではありません。
と、冒頭の本の「はじめに」の紹介で、はじめっからこんなにも長くなってしまいました。
たぶんこの本の紹介を詳しくやっていったら、ブログは「パート5」くらいまでいってしまいそうな勢いです。
それぐらい共感できることだらけだったのです。
ちなみに「はじめに」には
『現代医学は科学万能主義が背景にあるが故に、これが足かせになって物事の本質にたどり着けないでいる。』
なんてことも書かれています。
自分はしょっちゅうブログに「科学バカ」と書いていたりしますが、それと通ずるところがあります。
医者がかける言葉の重要性であるとか、死後の考え方(体は乗り物、心・魂が運転手)、『縁ある患者をハッピーにする』という考え方、『医者の本当の使命は、患者を脅して従わせることではなく、希望を与えて開放することなのだ』という考え方、『まだまだ修行中の身である』と言えるところ、などなど共感できるところばかりで、というかすべて共感できて、「えっオレが書いた本?」と思ってしまうくらいの内容でした。
いやいや、こんなに立派に文章書けないし、うまくまとめられないし、やはり自分には本は書けないなと思いました。
ちなみにこんなことも書かれています。
『コロナワクチンは安全で打つべきだと言われれば、何の疑問も持たずに何度も盲目的に打つ。』
と、その姿勢を批判・警鐘しています。
『地球温暖化やアンチ・ロシアやトランプ嫌い、マイナンバーカード推進や補助金やばらまきで得した気分になるなど、政府や報道の言いなりに、自分の頭で考えることもなく、それが正しいことだと信じ込む。呆れてしまうのは、国民のほとんどすべてが同じ考えを持ち、そのことで平穏と安心を得ているということ。どこかの全体主義国家のように、思想が統一されていて、少数意見は徹底的に攻撃され、潰される。』
なんてこともさらっと書かれていたりします。
気持ち悪いくらいに考えが一緒で、鳥肌が立つくらいでした。
こんな素敵なお医者さんもいるんだなぁと嬉しくなりました。
(あっ、同じ考え方だからといって自分が素敵なお医者さんというわけではないですよ。自分なんて足下にも及びません。)
ぜひみなさんにもこの本を読んでもらいたいです。
それほど本は分厚くないですし(136ページ)読みやすいです。
医者向けの本ではなく一般向けの本になりますが、ほんとなら医療職の人にこそ読んで欲しいですね。でも頭の固い医療職が読んでも響かないんだろうなぁ。
そして、この木村謙介先生のクリニック(きむら内科クリニック・神奈川県川崎市)周辺の皆様方、ラッキーですね。
安易に病院に行くべきではないですが、何かあったときは木村先生に相談すると良いでしょう。
たまたま本屋さんをぶらぶらして、たまたま手に取った本でしたが、本当、このように本との出会いも不思議です。
ちなみにこの先生はとても苦労されております。
壮絶な経験もされているのですが詳細は本を読んでください。
ちなみにのちなみに、開業せざるを得なくなって開業した、というところも自分と同じでした。
自分も元々は開業するつもりなんてさらっさらなかったですからね。
本を読んでいて驚くことばかりでしたが、まだまだ驚きは続きます。
「なぜこんなにも考え方が一緒なのだろう」
と不思議に思っていたのですが、本の帯に木村先生の生年月日が載っていたのですね。
「ひょっとしたら…。」「まさか…。」
と思って、さっそく数秘術を調べてみました。
するとその「まさか」で、木村先生も数秘術「33」でした。
ちなみにカバラ数秘術で言うところの未来数・探求数も同じ「1」でした。
不思議なこともあるものです。
たった一冊の本でしたが、劇的にしびれる思いをしました。
という自分の読書感想文でした。
