「老い」を取り巻く違和感

明けましておめでとうございます。
皆さん、今年は(も)良い年になるとよいですね。
というか、良い年になるはずです
なんとなくです。

月初めは恒例の感想集なのですが、今回は年初ですのでやめときます。
特に理由はなくなんとなくです。

高齢の方を診察していると、「老い」について考えることがやはり増えます。
そして高齢の方を取り巻くいろんな不自然で違和感のある制度や決まり事に気づきます。

例えば会社勤めの人(公務員も)の「再雇用制度」
全然元気だし仕事もバリバリできるのに、年齢で一律に区切られ、「あなたは高齢者の仲間入りですよ」と突きつけられる
そして給与も一気に下げられます。
「仕方なく働かせて上げるよ」感がプンプンです。
若くてもよっぽど仕事ができない人、サボるのが上手な人がたくさんいるというのに、ただただ年齢を理由に仕事ができる人を安い賃金で働かせるのです。
「どうせ今更他の会社で働けないだろ」と足下を見ている感を強く感じます。
多くの修羅場をくぐり抜け、多くの経験をしたからこそ会社にとって役に立つことなんてたくさんあるのです。
こんなにも理不尽な制度はありません。

もちろん、年齢とともに仕事できなくなる人もいるでしょうけど、「年齢」で一律に区切るのがおかしいと思うのです。

あるいは高齢者の免許返納問題
確かに年齢とともに判断能力が欠如し、事故のリスクが上がることもあるでしょう。
でも問題なく運転できる人もいます。
たとえ認知機能が若干低下した人でもです。
短期記憶が危うい人でも、人のことを気にかけることができる人がいます。
診察しているとわかります。
そういう人は運転を続けることができそうな気がします。

これも、若くてもどうしようもない判断能力の人だっています。
あるいは何かの疾患で、内服したら運転を控えるように言われている薬を飲んでいても平気で運転している人みます。
札幌でも糖尿病治療中の人が運転中に意識障害になり、小学生の子を車で引いて死亡事故を起こしてしまったケースがありました。
睡眠薬、抗不安薬、抗てんかん薬、風邪薬などなど、判断能力に影響を起こす薬はたくさんあります。
しかも今や市販で自分で手に入るものまであります。
しかもしかもドラッグストアで十分説明を受けないことがほとんどでしょう。
あるいは飲酒運転
飲酒運転がらみの悲惨な事故は跡を絶ちません(←「後を絶ちません」かと思いますが、正確には「跡を絶ちません」です)。

事故を減らしたいのであれば、高齢者の免許返納云々の前に、これら薬がらみや飲酒がらみをもっとしっかりチェックしたり規制するべきだと思うのです
特に以前から書いていますが、飲酒に対しては本当甘すぎます(罰則のことではなく規制のこと)。
あるいは外国人の運転免許問題です(最近強化はされましたが)。

しかも地方都市では(札幌でさえもですが)、公共交通機関のバスの減便が相次いでいます。
その辺の対策もしっかりしないまま「免許返納」ばかり勧め、高齢者の人に一体どうしろというのでしょう。
もちろん今はネットで買い物もできる時代ですしなんでも揃えることは可能ですが、高齢の人がみんながみんなネット注文できるわけではありません。
車も取り上げ、公共交通機関もない。
つまり、家に閉じこもっていろ、ということなのでしょうか。
あるいは、その人の気持ちを無視して、大事な大事な土地を処分させて、都会に住めとか、高齢者住宅に入れとでも言うのでしょうか。
なんだかまるで遠回しに、高齢者を一つの地域・一つの建物に収容しようとしているかのようで薄気味悪いです

なんか「やっていること、言っていることが中途半端なんですよね。」って思います。

若いから問題ない。
年取ったら危ない、仕事できない。

そんな単純な話ではありません。

で、一冊の本を紹介します。

老いと死の流儀

まさに上記で書いた再雇用制度に絡むことなど書かれています。
『「定年」は社会が押しつける老いの象徴』
『「老いの線引き」は会社の都合で決められる』
などなど。
免許返納問題についてもふれられています。

「老い」を取り巻く今の日本で、なんか違和感を感じていたのですが、「あぁこういうことだったのか」と思いました。

また血圧の基準のおかしさなどについても書かれています。
他にも老いに際しての考え方、生き方の参考になることが多いかと思います。

そして自分もこれまで何度か書いてきている、「死後の世界」についても触れられています。
ただし池田清彦氏は、「死んだ後は無になる」という考えのようです。
しかし『科学は人間が作った装置にすぎない』とも述べており、死後の世界について「ある」と考えている人を非難などはしていません。
池田氏は科学者ですけど、科学の限界も認めていますし謙虚な考え方の方です。

『死後の世界が本当にあるか、ないか、とういうのは別にどっちでもいいんですよ。それによって「死の恐怖」から逃れられて、心の平静が得られるのであれば、その人にとってその教義は十分役に立つ「良い理論」だと言えるのです。』
『要は、自分の心が落ち着くなら、それが正解なのです。』

と書いています。

自分も前回のブログでこのように書いています。
「結局は死後の世界について考え方は人それぞれです。
いろんな人の考えを知って、自分の中にスッと入ってくるものを受け入れればいいのでしょう。
もちろんオリジナルの考えを持っても良いと思います。」

死後の世界なんて、いろいろな不思議体験などから自分なりに類推したり考えを持つことができるだけで、実際どうなっているかわからないです。
いろいろな人の体験や考えなども参考にしてもいいでしょう。

超すげぇ力を持っていて、死後の世界の真実について知っている人がいるのかもしれないけど、そもそもが超すげぇ力を持っていることからして、本当に超すげぇ力を持っているのかも検証できません
ですから、死後の世界の考えについては誰かに押しつけられるものでもなく、やはり自分なりに考えるものかなと思うのです。
もちろん誰かの考えをそのまま受け入れてもいいかもしれないですけど、自分はそれはそれで危険だなと思ってしまいます。

ですので確かな根拠があるわけでもなく不確実性があること(特にスピ系の分野に多い)を押しつけられるのは自分は苦手です(※スピ系の話は好きですよ)。
そういうことは人それぞれの考え方ですので、正直余計なお世話、と思ってしまいます。
気づくときはその人それぞれにタイミングがあるはずですし。

「死後の世界」の考え方については自分は池田清彦氏とはまったく異なるのですが、それでも池田清彦氏の考え方も十分わかりますし、「死んだら無になる」という考え方も、それはそれでさっぱりしていていいな、とも感じてしまう部分があります。

著者は考え方がさっぱりしていて自分は結構好きです。
「ちゃんと根拠がある軽さ」というのでしょうか。

ある意味先のことを思い悩むでもなく「今」を生きている感じがします。
矢作先生の話で言えば「中今」って感じでしょうか。
それなのに、矢作先生は死後の世界もあるという考えですね。
おもしろいです。

「終活」についても書かれていて、池田氏は「終活」をやる人の気が知れない、と書いています。
終活は、死んだあとに周りに迷惑をかけないようにというのが目的で行うことが多いかと思うのですが、
『自分勝手だと言えば確かにそうなんですが、別にいいじゃないですか、死んだあとまで周りにいい顔しようなんてあまり考えない方がいいですよ』
って書いてあるんですね。
「終活」の是非云々は抜きにして、おもしろい表現です。

ちなみに池田氏はここで言いたいのは、
『死ぬための準備に貴重な時間を使うより、今この瞬間を適当に楽しく過ごすこと』
を勧めているのですね。

見えない世界の話、見えない力の話など「ない」と考えた方がさっぱりしていていいのかもしれません。
でも自分はそれらはあると思っていますし、できれば真理をより知りたいなと思う部分もあります。
それにそういうものがあると考えている身としては、これからの時代はそれら見えない力・エネルギー的なことへの理解が人生(健康を含め)に大きな影響を与えると思っています
あるいは「自分が生きている世界・環境」にも関わると思っています。

年末も不思議体験があったのですが、自分もほどほどに(?)見えない力・世界の話のことを考えていきたいと考えています。
※不思議体験についてはまたいつか紹介します。

冒頭の話題に戻りますが、高齢者の方にはもっと堂々と生きて欲しいなと思うのです。
「老人で申し訳ない」「長く生きて申し訳ない」と思っている高齢者の方々も少なからずいます。
「免許返納しなきゃいけないのだろうか」と悩んでいる人もいるでしょう。
もちろんどうしようもなくわがままになってしまっている人(前頭葉機能の低下?)もいますが…。

「申し訳ない」ことなんて何もありません。
若い人にだってどうしようもないのはたくさんいるのですから。

今の日本は、生物学的な問題ではなく、社会的な理由で高齢者を追い詰める風潮になっているなと感じます。
やはりここにも科学(的根拠・データ)は存在しないなと感じます。