修行

みなさん、最近ニオイはどうですか?
一時に比べると落ち着いているようですが、でもくっさい人はくっさいです。

札幌の今年の天気はおかしなもので、どか~んと雪が降ったかあと思えば、気温が急上昇して雪が溶けるみたいなことが繰り返されています。
雪降れば結局雪かきはしなきゃならないので大変さは変わりません。

ちなみにどうでもいい話ですが、札幌って雪道でも自転車乗っている人をたまに見かけます。

クリニック前を朝雪かきしていると、通勤の人たちが結構通るのですね。
地下鉄の駅に近いから。
時々「うっ」となることがあります。

ほんと強烈な人は数メートル離れていてもニオイわかりますからね

で、今日美容室に行ってきました。
髪短いからどこでもいいんですけど、付き合いの流れで定着してしまいました。
ほぼ3週間に1回くらいの頻度でいきます。
それ以上伸ばしてしまうと、髪がウニのようなマリモのような感じになってしまうので…。

行っている美容室では基本的にワクチン臭はしないのですが、一人だけ臭うスタッフがいます(Aさんとします)。
で、髪を洗ってもらっているとき、突然強烈にワクチン臭がしたのですね。
布を顔にかけられているからなぜ急に臭ったのかはわかりません。
誰かが近くに来たのでしょう。
で、髪を洗い終わって布を剥いでもらったら、そのスタッフAが隣のシャンプー台のところに来てタオルだかなんだか補充していたんですね。
いや~いつにも増して今日はニオイが強烈でした。
これまでも臭ってはいたのですがほんわか系でした。

で髪切っている間、基本的に自分は目を閉じています。
話しかけられれば話しますけど…。
というか本気で寝ていることもありますけど。
で、目をつぶっていると、時々空間のニオイが汚れてくるのがわかります
そう、そのAがうろちょろしているのです。
たいてい自分にお客がついていないときは、裏にいることが多いのですが、なぜか今日はうろちょろしています。
ほんと、自分の鼻が空気清浄機並のセンサーのようです
そのスタッフが来ればすぐに空気の汚染具合でわかります。
目つぶってニオイで判断なんて、まるで「格付けチェック」の番組のようです。

鏡越しにちらっちらっとそのスタッフの動きを確認していたのですが、なんだか魂抜かれたような歩き方なんですよね。
いつもはお客さんの髪切っているときはよくしゃべっているのに。

みなさんもニオイ感じる方ならわかるかと思いますが、強烈なニオイする人がいたりすると「イラッ」としてしまいますよね。
しかも無意味に近づいてきたりすると。

自分は髪切られているし逃げることもできません。

正直ウロウロしないで欲しいと思っていましたし、一瞬「イラッ」と感じてしまいます。

でも、この「イラッ」に支配されてはいけないと思うのです。

その人に「イラッ」の矛先を向けても何も変わりません。
当人は自覚ないのですから。
自分がニオイを発していることに気づいていないのですから。

超不快で、何ならそのニオイによって体調がおかしくなってしまうかもしれないけど、「イラッ」としても無駄なんですね。
「イラッ」とすることでニオイが消えるんならいいですけど。

ただただ自分から「イラッ」というマイナスの感情を発するだけになってしまいます。
そうなればいかにも運気は下がりそうです。
人間関係もギクシャクしてしまいます。

イラッとし続けることは、相手の思うつぼ、になってしまいます。
相手とは権力者なのか悪魔なのかわかりませんが。

人間ですから一瞬「イラッ」としてしまうのは仕方ありません。
でもすぐにその感情に気づき、「イラッとしても仕方ない」ことを思い出し、その感情を沈めるしかありません。

と髪を切ってもらっている間、目をつぶって考えていました。
「修行だな」って。

そんなには難しくない修行だと思いますけど。

しかし自覚ないというのも本当にやっかいです。
どうにもなりませんからね。
自覚したとしても、当人もどうにもなりませんからね。
自分の体から発せられているんだし。
柔軟剤を使用しないとか、そのような感じで対策できるものでもありません。
せめて抗酸化サプリなど飲めばニオイが落ち着きそうな感じはしますが、そこまで考え対策する人はまずいないでしょう。

ちなみに年明けてなぜか急に確信したのですが(なぜかはわかりません)、一般的なmRNAワクチンによるシェディングによって、取り返しがつかなくなるようなことは起きないと思います。
通常は、です。
できれば何らかの対策をしての話です。
シェディングでは明らかに酸化物質による影響があります。
それが蓄積して、体が耐えられなくなると、取り返しがつかないことになってしまうことはあり得るでしょう。
でも、ワクチン打ったのと同じような体になる、ということはまずないと思います。
あくまで、未接種者は未接種者であり、接種者と同じ体になることはありません
またできれば、酸化物質による影響という物質的な考え方以外にもエネルギー的な考え方もしていった方が良いです。
いろいろ対策をしているせいか、なぜか「シェディングによって体がおかしくなっちゃうことはないな」と思ったのでした。
なぜか確信したのでした。
「確信」なんてよっぽどのことじゃないと使えませんけど、本当になぜだかわからないけど確信しちゃったのです。

でもレプリコンに関してはわかりません。
誰がレプリコン打っているのかわかりませんし、その周囲で何が起きているのかもわかりません。
検証のしようがありません。
先日のブログでも書いたように、レプリコンのみを扱っているというわけのわからないクリニックがあるように、結構レプリコン接種者はその辺をウロウロしているのかもしれません。
諸外国でも扱っていないのになぜレプリコンを積極的に使用するのかまったく意味がわかりません。
理論上は周囲に影響を与えるかもしれないものです。
十分検証されてるとは思えないものを積極的に使用するなんてあり得ないですね。ふつうは。

レプリコンに限らずmRNAワクチンに関しては、多くの医師や専門家が警鐘を鳴らしていました。
改めてその意味を考えてもらいたいものです。
一応医薬品の知識はそこそこにある人たちです。
本当に良いものだったら、自分たちが率先して打ちますよ。
なんなら優先して手に入れることができるんですから。

思考停止に陥った大多数の人たちは、その辺の意味を考えず、周りと同じように接種してしまいました。
危険性を訴えていたのは一人や二人じゃないんですからね。

なぜ複数の医師や専門家が反対するんだろう。
そこを考えるべきでしたよね。

接種者の人の中で「コロナワクチン打ってマジ良かったわ~」って思う人どのくらいいるのでしょう。
しかしいまだに「ワクチン打ってないの?死ぬよ。」とまで言ってくる人がいるのですから、開いた口が塞がりません。
ワクチン打った後に明らかに家族に副作用が出ているというのにワクチンを疑うことができず、いまだにワクチン礼賛の人もいます。
そういう人は言葉通り、死んでも気づかないのでしょう。
別にそういう人を責めようとも思いません。
何も思いません。
その人の価値観なのですから。
でも逆にこちらにも干渉しないで欲しいですね。
住む世界が違う、それで結構です。

コロナ禍になって、ワクチン打つ打たないの話とか、周囲にどう説得するかとか、説得しても聞いてくれなかったりして無力感に苛まされたり、シェディングを感じる人はシェディングやワクチン臭のことだとか、どう受け止めればいいのかとか、たくさん考えることが多かったように感じます。
どんな「考え方」をすればいいのかとか。
実はこれも修行になっていて、きっとみなさんも精神的に成長したのではないかなと思うのです。
すげ~悩んだ人多かったと思います。
「精神性」について考える人が増えたのではないかなと思うのです。
もともと考えていた人も、復習みたいな実践での訓練みたいな感じになったのではないかなと思います。

これからの時代は絶対に物質的なものだけではなく、エネルギー的なものであるとか精神世界の分野の考え方・理解が必要になってきます。
そういう意味では悩んだり考えたりしていたこの数年間は決して無駄にはならないでしょう。

別に「修行」という言葉が好きなわけではないですけど、結果的に自然とみなさんは次のステージに移る準備をしていたんじゃないかなと思うのです

ちなみに自分は「接種者」と「未接種者」とに区別しているのではなく、コロナワクチンのおかしさに「気づいている人」と「気づいていない人」に分けて書いています
打ってしまった後に後悔している人もおりますが、そんな人たちは本当に悩んだと思います。
でもきっと二度と同じ過ちは繰り返さないでしょう。
それに世の中の仕組みについて知ることにもなったでしょう。
そんな方たちもすごく成長されたと思いますし、これから生き延びていく上で無駄にはならない経験になったと思います。

矢作先生の本にも書いてありましたけど、本当現代においては国が勧めることとは反対のことをした方が正解のことが多いです
「あまのじゃく」であった方が自分の身を守ることができるでしょう。

「ワクチン教」の人たちは「あまのじゃく教」を少し見習った方がいいかもしれませんね。
ワクチン教の中には「人と同じじゃないと不安に感じる」人が多いかと思います。
人と違っていいんです。
自分の本心であるとか直感に従って正直に生きないと、本当取り返しがつかないことになっちゃいます。
周りに合わせて生きていって失敗しても、誰も責任とってくれません。
周りなんてどうでもいい、そう考えられる修行をしないといけませんね。

※コロナワクチンの場合はあまのじゃく云々の前に、科学的にいっても怪しいものですから近づくべきではありませんでした。
国や世界が一方向に誘導するものに関しては「疑う」べきであって、皆と同じ行動をしない方が(=あまのじゃく)正解の場合が多いということです。
深くなんも考えなくても「あまのじゃく」の方が正解の場合が多いのが「現代」ということです。