姥捨て山

みなさん、姥捨て山(うばすてやま)のお話しは聞いたことがあるかと思います。

ちなみに長野県には「姨捨山(おばすてやま)」というところがあり、長野県では数少ない夜景スポット&デートスポットとして地元では有名??です。
https://yakei100zan.com/yakei?id=16

※ちなみにお話しの「姥捨て山」と地名(俗称ですが)の「姨捨山」は最初の感じは微妙に異なっています。意味合いは同じなのに。

この「姥捨て山(うばすてやま)」は実話とも言われていますが、民話・伝説とされています。

なぜ今回「姥捨て山」のことを書こうと思ったのか。
自分が高齢者に関わっているから、そして高齢化社会ならびに社会保障費増大の問題があるから、だと思うでしょう。
とてもセンシティブな話題です。

でもそうじゃないんです。
とても不思議な出来事があったからなのですが、きっかけは自分がある本を読んだ話からになります。

以前のブログで「病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ」という本を紹介しました。

この本の著者である木村先生の他の本を読んでいたのですね。

大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方

この本をちんたらちんたら細切れに読んでいたのですね。
※ちなみに施設選びの話とか、人生の最後をどう向かえるかとか結構参考になるかと思います。

そして本の最後の方で『「高齢者は死んでも良い存在」なのか』と、ときどき高齢者排除ともとれる発言をする人々や風潮について問題提起しており、その流れで「姥捨て山」の話が出てきたのでした。
そして、姥捨て山を題材にした小説・映画「楢山節考」を紹介しており、そのあらすじが2~3ページにわたって書かれています。

本を読んでいると、その本の中で紹介されている他の本だとか映画だとか観てしまいたくなるたちです。
なのでどんどん本がたまっていってしまいます。

「いつか楢山節考の本だとか映画観てみたいなぁ。でも時間かかるしちょっと面倒だなぁ。」

と思っていたのです。
実はなんとなく姥捨て山の話の流れは知っていましたが、詳しくは知らなかったのです。

で、翌日の夜。

突然看護師さんから以下のリンクが送られていたのです。
https://www.youtube.com/watch?v=1FmdsZNpeOo

なぜこのリンクを送ってきたのかの説明もなく、ただただURLだけが送られてきたのです。
上記URLをクリックしてもらえればわかりますが、なんと「まんが日本昔ばなし」の「うばすて山」のお話しだったのです。

まじビックリしました。

その日の日中、仕事でしたが「姥捨て山」の話なんて一切していません。

というか突然URLだけ送ってきて、なんの説明もなく、こっちからしたらもう頭の中は不思議不思議、なぜ?なぜ?です。

翌日、なぜあの動画を送ってきたのか聞きました。
すると、看護師さんがyoutube観ようとしたらなぜか突然オススメの動画の一番最初にでてきたのだとか。
看護師さんが小さいころ「まんが日本昔ばなし」の「うばすて山」を観てすごく感動して好きな話しだったから、なんとなく送ったのだとか。

最近のお互いの会話で「姥捨て山」の話題が出てきたとかならわかります。
しかし少なくとも数年、あるいは姥捨て山について話したこともないかもしれません。

それなのに突然「姥捨て山」でつながる。

この現象、不思議すぎます。

しかも小説読んだり映画観るのとは違い、10分の動画で流れがわかるという求めていた簡便さ。
(ちゃんと文学作品・芸術作品として「楢山節考」はいずれ観たいと思います。内容も異なるでしょうし。)

頭の固い科学者だったら「たまたまでしょ」「偶然です」で終わらせるんでしょうけど、こんなことが起きる確率どれだけなのでしょうか。
奇跡に近いと思います。

自分がたまたまその日に「姥捨て山」に関することが書かれている本を読んだ。
小説や映画を観るのは面倒くさいなと思っていた。
翌日看護師さんが突然「姥捨て山」の短い動画をたまたま送ってきた。

こんなことってありますかね?
なぜ「姥捨て山」というキーワードでつながる?
今世間で話題のキーワードでつながるならわかりますけど。

シンクロというか引き寄せというか、見えないところで情報がつながっている感じです。

ちなみに「姥捨て山」のお話しにはいろんなバージョンがあるんですね(各自お調べください)。

高齢者を切り捨ているような発言をする人がいたり、そういう風潮を感じるときがありますが、いまこそ「姥捨て山(まんが日本昔ばなしバージョン)」のお話しが注目されて良いのかもしれません。

ついでに倍賞千恵子さん主役の映画「PLAN75」も考えさせられる映画です。

高齢者は生産性がない、とか言う人もいますが、毎日高齢者に接している自分としてはいつも刺激をもらっています
以前ブログにも書きましたが、今や御年96歳。
それでも新しくドイツ語や英語を学んだり、本を読むことが大好きで、年に数回付き添いで本屋さんに連れて行ってもらって本をまとめ買いしてきたりする患者さんがいます。毎回「こんな本を買ったのよ」と教えてくれます。
一時腰痛がひどく入院してしまった時期がありますが、自宅に帰ってきてから自分なりに無理しない程度にリハビリを行い、少しずつ動けるようになってきています。
冷蔵庫を開けるのも困難だったのですが…。
一人暮らしでがんばっています。
もちろんヘルパーさんや訪問看護師さんなどもうまく使っています。

もちろんこのような方ばかりではないですが、麻痺になっても頑張っている人もいますし、その人のこれまでの人生のお話しを聞くのも好きです
すごく刺激になります。

診察に行っているのに、逆に自分がエネルギーをもらってしまうこともあります。
あるいは患者さんとの関わりの中でいろんな気づきを得ることもあります。

以前にも書きましたが、再雇用制度における理不尽な給与削減とかすごく腹立たしいです。
その人がこれまで培ってきた経験とかノウハウがその会社にすごく役に立っているだろうに、安月給で「雇ってやるよ」感を出しているのです。
AIが発達したとはいえ「人間の機微」みたいなものはマネできないでしょう。
「知識」はAIでカバーできるでしょうが、やっぱり知識だけではなく実際の「経験」も重要だと思うのです。
そりゃ長く生きてきた人の方がたくさん経験しているし、いろんな修羅場も経験しているはずです。
その人がこれまで経験してきたこと、そのときの状況、そのときの相手とか、そのときの社会風潮も関係しているかもしれませんし(いわゆるその時代の空気)、そんなところまでAIは学習できないでしょう。

なんでもかんでも年だから免許返納だとかいますけど、でも変な運転しているの高齢者だけじゃないですよね
飲酒運転しかり。
なんでもかんでも取り上げるのではなく、そういう危険な運転にならないような技術・システムをより開発していくべきじゃないのでしょうか
自動運転技術も発達しているようですが。
(自分としては自動運転はつまらなくて好みませんけど…)

ちなみに冬の北海道は道路の車線は雪で消えます。
なんとなくの感覚で車を運転しなければなりません。
雪がないときの車線の位置をなんとなく思い出しながらって感じです。
札幌の道は片側3車線とか2車線とかの道が当たり前のように走っています。
でも冬は1車線は雪山が積まれて潰れるのですね。
だから渋滞がよく起こります。

で、明らかに2車線分のスペースがあるのに、ど~んとど真ん中走っている車があったりするのです。
どっちかに寄って走れば良いものを。
というか、その前の車はちゃんとどっちかに寄って走っているのに、その真後ろでど真ん中を走っていたりするのです。
まるで後ろから来る車を追い越させないように嫌がらせしているかのようです。
ちなみにレンタカーとかではなく地元の車です。
中途半端なところを走っているので端から見ていると危険に感じます。
あと、冬は平気でウインカー出さずに車線(見えないですけど…)変更する車も増えますね。
札幌は車線見えててもウインカー出さないで車線変更する車多めですけど…。

そして交差点に雪山が築かれたりします
そうなると交差点では、交差する道路側がまったく見えないんですね。
信号のない交差点はすごく危険です。
また雪山の向こうに人が歩いていたりすると、交差点で曲がるときに歩行者が見えませんから危険です。
そして歩道に雪が積もりすぎていたりすると、歩行者は普通に車道を歩いていたりします。

あるいは自分の所のテナントや自宅の敷地の雪を道路に捨てて山を築く輩がいるんですね。
そうなるとその部分の道路が狭くなり通行がスムーズにいかなくなります。

そんなこんなでなぜか愚痴と札幌の冬道の危険性についてお伝えしました。

話しを元に戻しますが、雪積もる地域は自動運転は難しそうですよね…。
でも車側の技術をもっと向上させることできそうなんですけどね。
道路と車にセンサーを設置して逆走を検知する仕組みとかできそうですけどね。

いますでに踏み間違い防止の車などがたくさん出てきていますけど、旧車マニア以外、世の中の車がいずれそういう車にすべて切り替わっていくでしょうから、アクセルとブレーキの踏み間違いによる事故は減っていくのではないでしょうか?

それなのに高齢者が事故を起こせばことさらに取り上げて、免許返納の話題になったりします。
問題なのは高齢者ばかりではありません。

同じ地球に生まれた人間なんですし、何歳になろうとお互い敬えるようになれると良いですね。
ギスギスした社会は疲れますし、エネルギーを消費するだけです。

年齢の違いだけでなく、人種、職業、経験した中身、みんな異なりますが、お互いにとって相手はその道のプロなんですし、相手を敬う気持ち、相手から学ぶ気持ちを忘れないでいたいものです
人種・職業関係なく究極的には、まさお君はまさお君のプロ、リンダさんはリンダさんのプロなんです。
人間として一人一人それぞれが「自分」というプロなんです。

※まさお君とリンダさんに特別なんの意味もありません。

ワクチン推奨しまくる専門家もどきはどうかと思いますが、それでもその人のしていることすべてが悪いわけではありません。
医師であれば患者さんの役に立ったことだってもちろんあるでしょうし。
小説家兼医師の人だって、その人の小説を面白く読んでいる人、求めている人だっているのです。
一部のファンにはその人は役に立っているという話になりますし、「小説」という文学作品をこの世に残したのは間違いありません。
正直その人全部を敬えるかといったら疑問ですが、敬える部分はあるはずです。

って、ちょっと大人っぽいこと書いたけど、好き嫌いあるのは仕方ありません。
人間なんだもの。