ふつう

「ふつう」って何なんでしょう。
日常生活においてふつうに「ふつう」という言葉を使ったりしますが、「ふつう、ふつう」と言ってるとなんだか不思議な言葉に思えてきます。

明らかに法律で規定されていなくとも、社会的常識だとか道徳だとかによって、「当たり前」の行動をとったりとらなかったり…ってことなのかなと思うのですが、しかしその社会的常識だとか道徳も人によってゆがんでいることもありますからね…。
「大多数の人の」社会的常識だとか道徳考え方ってことかもしれません。
しかし「大多数」とかそんな概念をもちだしてしまうと「多数決」の話になり、少数派が排除されてしまうという話になってしまいます。
少数派は常に「ふつうではない」ということになってしまいます。

でも先日書いたブログの池田清彦氏の本にあるように、生物学的にも少数派(変人)が世の中を変えてきたり生物の進化に寄与してきた部分もあると思われます。
「ふつうじゃないこと」が悪いわけではないのです。
「ふつうじゃないこと」が正解のことだってあります。

なんか自分で書いといてなんですが、『「ふつう」って言葉、意味あるのかな?』って思ってきてしまいました。
これまでブログで散々「ふつう」って言葉使ってきましたけど。

自分からしたら「ふつう」は充分な長期的データもないワクチン、しかも遺伝子に作用してしまう懸念もあるワクチンを安易に打つなんておかしい、と思いますし、そう考える人も一定数います。
でも大多数の人からしたら、それは「ふつうではない」のですね。
反ワクというレッテルを貼り差別したりバカにしたりするのです。
「ふつう」賢い大人だったらそんな「反ワク」という頭の悪い言葉を安易に使ったりしないと思うんですけどね。
ですからワクチンに疑問を持つ立場からしたら、ワクチンを強く推奨したり「反ワク」と言って批難したりする人たちの方が「ふつうではない」と思ってしまいます。

『ワクチンを打つのがふつう』
VS
『データが十分ではない遺伝子注射を安易に打たないのがふつう』

という構図ですが、どっちも自分が「ふつう」と思っているのであり、やっぱり「ふつう」という言葉を考えるのが面倒になってきます。
いろんな立場があり、みんなそれぞれ自分が「ふつう」って思っているんですからね。

そんなときになんですが、一冊の本を紹介します。

「ふつう」ってなんだろう 病気と健康のあいだ

本の冒頭はこんな言葉で始まります。
『「違った見方」で考える
この本では、病や障害といったことを、いつもとは少し違った見方で考えてみようと思っています。そして、それを通して、私たちがふだん何気なく信じている「ふつう」とは何かを、もう一度見直してみようとしています。』

「ふつう」に違和感を感じている人には大変興味深い内容だと思います。

本の内容はほんとうに多岐にわたるのですが、
・新しい病気が実は「発明」されたり「売り込まれたり」していること(医療化)
・薬を売るために病気を広める(疾患喧伝)

の話なども書いており、医療の闇を知る上では少し参考になります。
しかし深くは切り込んではいなく、あくまで「ふつう」を疑うためのきっかけとして事例をあげているに過ぎませんが…。

自分も以前ブログに書いた「ピロリ菌」のことも書かれています。
ちなみに以前書いたブログは以下を参考にしてください。
ピロリ菌は除菌するべき?(2023年5月10日)
ピロリ菌と乳酸菌(2023年6月12日)

「ピロリ菌=悪」という考えが根付いてしまっており、「ふつう」ピロリ菌がみつかればすぐに除菌されちゃったりします。
中学生にもピロリ菌検診をする「ふつうじゃない」自治体もあるようです。

早めが肝心 中高生のピロリ検診』なんて唱えている団体もあります。
北海道対がん協会ですけど。

ピロリ菌を除菌することのデメリットもわかってきているというのに、いまだに「ピロリ菌=悪」の考え方でしか書かれていないこの文書は、もはやビジネス目的としか思えません。
ピロリ菌利権というか、検診で引っかけて除菌する人を増やす。
どこが儲かるかは自明ですね。
その行為がひょっとしたら新たな疾患の増加に繋がっているかもしれないのに(そのような知見が出てきているのです)、むやみやたらにこのような記事を書くのは罪だとすら思います。
しかも2024年4月の記事ですよ。つい最近じゃないですか。
いまだに「ピロリ=悪」という考えで、若年者にまで検診を勧めるなんて「ふつう」じゃありません。

またこの本では薬を売るために「うつ病」キャンペーンが行われたことも書かれてあります。さらっとですけど。

認知症薬についても書かれています。
『古い理論に基づく新薬』という小見出しで書かれてますが、現在日本で保険薬で使われている認知症薬は「アセチルコリン仮説」に基づいた薬であり、今では時代遅れの仮説です。
そして数年前からメディアでも話題になっている高額な新薬は「アミロイド仮説」に基づいた薬ですが、これもまた時代遅れです。

だいたいですよ、この話題はいつか書こうと思っていたのですが、
『アミロイドβがアルツハイマーの原因とした言い出しっぺ?の論文』がねつ造だったことがわかっており、その論文は撤回されています2024年7月に撤回
アミロイド仮説の理論的根拠となってきた極めて重要な論文です。

アルツハイマー病の原因はアミロイドβ、とした重要論文で画像操作の可能性が明らかに

アルツハイマー病研究の重要論文に改ざんの疑い…2200以上の研究で引用

『脳内の特定のアミロイドβたんぱく質の集合体が記憶を阻害する(A specific amyloid-β protein assembly in the brain impairs memory)』という論文ですが、この論文は2200以上の研究で引用されているようですが、それらの研究も無効となる可能性があるとのことです。
認知症研究においてすんげぇ影響を及ぼすものであり、確実にSTAP細胞騒動以上のものです。世紀の詐欺師です。

だって、ずっっとアミロイドβが悪者だって言われ続け、その研究のために多くのお金がつぎ込まれてきたのですよ。
一説では『「2000年以降、認知症用の薬剤の開発には、世界の大手製薬会社30社が、累計で6000億ドル(約65兆円)以上の研究開発費を投じてきた」との報道もある。』ようです。
もはや世紀のスキャンダラスな話題なのに、ぜんぜん報道されていません。
第178回 浜六郎の臨床副作用ノート ◉ アミロイド仮説:根拠論文の捏造

科学誌「Nature」に掲載されていたのですが、よくワクチン推進派も「Nature、Nature」と言って、ワクチンの効果が掲載されているのだから…って、○カの一つ覚えのように言っていました。
有名科学誌だからってなんの意味もありません。
もはやいろんな利権が絡んでいることもわかっています。
『「ふつう」有名科学誌に掲載さえれば絶対的なことだ』という、間違った「ふつう」を悪用され、みなさん洗脳されています。

もちろんアミロイドβ仮説が完全に否定されたわけではありません。
あくまで、アミロイドβがアルツハイマーの原因とした論文を書いた研究者がウソつきだったということです。
これからの研究で、やっぱりアミロイドβが悪者だ、という根拠が出てくるかもしれません。
でも出てこないだろうなぁ。
アミロイドβを取り除いたって認知症がよくなるわけでもないし、アミロイドβたまっていたからって認知症の症状が必ずしも出るわけではないことがわかっているのですから。

アミロイドβ仮説はもはや時代遅れです。
だからアミロイド仮説に基づいた新薬が効くわけもないのです。
もはやプラセボ効果くらいの作用は見られるけど、根本的には何の役にも立っていないでしょう。脳浮腫・脳出血の副作用リスクの高さを考えると、リスクとプラセボ?効果のバランスは非常に悪く、ほぼ害でしかないし、ただただ製薬会社を儲けさせるためだけに自分がリスクを取ることになります。
製薬会社も何十年もアミロイドβが原因だと思って研究してきたのですから、今さら引っ込めるわけにはいかないのでしょう。
だからといって無駄な薬を世に出して良いわけではありません。しかも高額。
「がんが消える水」なみの詐欺商法だと思います。
だけどグローバル製薬企業がしていることだから厚労省は規制するどころか、逆に協力的です。

「認知症に待望の新薬がでました!」なんてメディアで言ってましたけど、半分宣伝でしょう。効かねぇ薬の。

しかしいまだにアミロイドβがアルツハイマーの原因という考え方が「ふつう」とされています。
ふつう=正解、では決してない良い例です。

いまだにアミロイドβ仮説にしがみついている研究者、医者が多くいますからねぇ。
今さら後戻りできないのでしょうね。
だって長くて20~30年間アミロイドβだと思って研究してきた人もいるでしょうから。

アミロイドβが原因とされた論文はねつ造で、現在では撤回されている

これは事実ですし、もっと世間の人々が知るべきことです。
それに基づいた新薬も期待なんてできるわけないし、メディアはもっと報道するべきなのに、きっと大企業のスポンサーだから遠慮して報道できないのかもしれません。
しかしこんなところに多額の医療費が投入されているのです。
医療費削減というのなら、「ふつう」ここを真っ先に削減するでしょう。

でも政治家や官僚には「ふつう」の考え方が通用しないんですよね。
そもそもそこが問題です。
政治家や役人には「ふつう」が通用しないから、国民にはいろんな不満がたまってしまいます。

しかしピロリ菌にしろアルツハイマーにしろ、ほんとに医療の世界には間違った「ふつう」が浸透しているなと思います。
そしてそれに皆が振り回されているのです。
なんならそのせいでお金の無駄遣い、健康被害すら起きているかもしれないのに。

やっぱりふつうに「ふつう」て言葉使ってしまうけど、自分が考える「ふつう」と他の人が考える「ふつう」は違うこともあるわけで、安易に「ふつう」という言葉は使わない方が良いのかなぁとか思ってしまったりします。
「ふつう」という言葉を使うと、自分の価値基準を他人に押しつけているように感じてしまいます。
あまり「ふつう」という言葉を使いたくないな、と思ってしまうのですけど、やっぱり今後もふつうに「ふつう」という言葉を使ってしまうのでしょうね。
難しい…。

ちなみに「普通列車」とか「普通郵便」の「ふつう」ってどういう意味なんだ?
ニホンゴムズカシイ。