みなさん忘れっぽいですか?
自分は相当忘れっぽいと思っています。
自分の頭の容量って相当限界があると思っていて、新しい情報を入れるためにはどんどん忘れなければならないんだ、と適当な理論でごまかしています。
高校時代の勉強の話なんてすっかり消去されています。
嫌らしい話ですが、「してあげたこと」は速攻忘れます。
何をプレゼントしたかとか。
適当にプレゼントしているわけではないし、ちゃんと考えてしているんですけどね。
嫌な体験は結構残りそうなんですが、これもまた忘れやすいです。
良い意味で言えば「切り換えが早い」とも言えなくはないですが。
嫌な出来事でも、プラスの意味を見出すことで切り換えが早くなれるのかもしれません。
そんな感じでまるでデジカメやスマホのメモリーカードの容量が少ないかのように、古いデータや優先順位の低いデータはどんどん消去していかないといけないと思っています。自分の頭は。
脳みそって実際使われているのは数パーセントだけとも言われていますし、たくさん容量ありそうなんですけどね…。
容量が少なく忘れっぽいとは思っていますが、でも決して悪いことでもないとは思っていました。そう思いたいというか。
しかし何か根拠が欲しいです。
認知症の患者さんと接するようになって早20年近くになります。
「記憶」のことや「忘れる」ことについてはすごく興味があります。
今回一冊の本を紹介します。

本の帯にはある人のコメントが書かれていますが、このように書かれています。
『忘れっぽいことは正常であるばかりか、有益でさえある。その理由を教えてくれる、実用的で、素晴らしい本』
「忘れる」ことは有益だとしても、「忘れっぽい」のも有益らしいです。
忘れることの利点に重きを置いた本はとても興味深いです。
本の内容は一部難しい感じのところもありますが、興味ある人はぜひがんばって読んでみてください。
自閉症やPTSDの話なども絡めて書かれています。
自閉症では「正常な忘却」が起きないために、環境のささいな変更にも過敏に反応してしまうとのことです。
例えば本棚の本の順番が昨日と少し違っていた、だけでも過剰に反応してしまうとか。人によってどこにこだわりを持つかは異なるようです。
不安になり混乱してしまうので必死に同一性を求める、と言われています。
行動の柔軟性が乏しい、とも表現されたりしますが、うまく忘却できないことが原因とされています。
『物事を一般化するため、つまり構成要素から全体を再構築するため、忘却に頼っている。物事に微妙な違いがいくらあったとしても、似たものをカテゴリーにまとめて名称を付けることができるのは、忘却のおかげなのだ。』
と書かれています。
つまり、朝見た犬と、夕方見た犬(同じ犬です)、「正常な忘却」がなければ、光の当たり方の加減などで、同一の犬であると認識できないのですね。
ですからいちいち新しい情報ばかりで、そりゃ頭がパンクしそうです。
それに「一般化」ということができなければ、いろんな法則もつかめません。
日常で出会うすべてのものが「新しいこと」なのですから。
最初は新鮮でいいかもしれないけど、すぐに疲れそうです。
また感情に関する忘却のところではこのようなことが書かれていました。
『感情の正常な忘却は、醜くて非生産的で怒りを生む感情の重荷から私たちを解放してくれる。恨み、悪意、敵意、復讐心、さらには義憤といった感情は、扁桃体がもたらす大罪と言っていい。…(中略)…それから感情の忘却にはもう一つ、心を解放し、赦すことを可能にしてくれるという最も高尚な役割がある。赦すために、嫌な出来事があったという事実を忘れることが必要なわけではないし、忘れるべきではない。しかし、赦すためには激しい憤りを取り除く必要がある。これは忘却が持つ利点の中で最も尊いものだ。』
前回、「ルール」という愚痴ブログを書きましたが、自分の「正常な忘却」に頼って、非常識な電話をかけるのはやめてください。
「どうせ忘れっぽいから、休日にかけても赦してくれるだろ」みたいな。
そういうの忘れません。
ささいなことは忘れますけど、突拍子もない非常識さが突出しているものは忘れないものです。
そして本の中では、「感情の忘却という生来の能力を高めるシンプルですばらしい方法」として以下のことを挙げています。
『その方法とは、人付き合いをすること、人生にユーモアを加えること、そして苦痛を癒やしてくれる愛の輝きに満ちた人生を送ろうと、つねに心がけることだ。』
やっぱドリフ大事です。ドリフである必要はありませんが。
少なくとも、ドリフ的思考・感覚を幼少期にみっちり仕込んだのは無駄ではなかったようです。
この本ではいろいろな興味深いエピソードが紹介されていますが、「昔から忘れっぽいと自覚している医師」からの相談に関するお話しもあります。
検査したところ、確かに海馬の機能が少し劣っていたようですが、IQは高かったそうです。
この章は「謙虚な心」というところに書かれていて、「知的謙虚さ(自分の知識に対する謙虚な姿勢)」をテーマに書かれています。
『最終的に正しく診断して適切な治療計画を立てるためには、意思決定において知的謙虚さが重要』
『知的謙虚さはメタ認知の延長線上にある概念だ。知的謙虚さがある人は、自分の最初の判断が間違っているかもしれないという可能性を受け入れることができる。そのような人は、最初の決断から、より正しい別の判断へと考えを変える傾向が強い』
『まず何が最も可能性の高い病因かを判断するうえで、記憶が重要なのは疑いない。だが、記憶に基づく最初の直感が間違っている場合もあるので、最終的には知的謙虚さの方が重要だ。知的謙虚さがあれば、医師は考えを変えて正しい医学的結論に達する可能性が高まる。このプロセスは、「真実の追究」ではなく「真実の追跡」と呼ばれる。ほとんどの人は真実を追究するが、ある程度の指摘謙虚さを持つ人だけが、一歩一歩、真実を追跡する。』
そして医学生に知的謙虚さを教える方法として、
『考えを変える利点を知ってもらう、うぬぼれや偏見や傲慢さを持たないように教え込むなどだ』
と書かれています。
耳が痛い医者がいっぱいいそうです。自覚してないだろうけど。
また、この忘れっぽいと相談してきた医師(X医師)は、優れた診断医として認められている人です。
それに関して彼は「自分が知的謙虚さが高いことによるものだ」と謙虚に述べたそうです。
どのような素質の人が知的謙虚さを持つようになるのか、ということについて彼は
『記憶力が悪いこと、それを自覚していることのおかげかもしれない』
と言ったそうです。
X医師は研修医時代のエピソードも紹介しており、優秀と思われている研修医は歩く辞書のような感じで(=記憶力が良い)すぐに患者さんの疑わしい病名を挙げることができたそうなのです。
複数の病名と鑑別診断の進め方とか。それに圧倒されたそうです。
確かにそういうすんげぇ人います。
しかし、結局は、記憶力の良い研修医に比べて、複雑で難易度の高い症例では特に、X医師の方が正しい最終診断を下す確率が高かったそうなのです。
記憶力の良い研修医たちは、最初の考えをあまり変えなかったそうなのですね。
X医師は、診断が誰よりも早い医師ということではなく、最終的に最も正しい診断を下す医師として、非凡な診断医だという評判を築いていったそうです。
そしてこれまでの実験や知見で、
・海馬の活性が低い人は、早まった決断をすることが少ない
・海馬の機能が低い人は認知的な罠に引っかかりにくい可能性
・記憶力に自信がない人は、間違った決断から正しい決断へと考えを変える傾向が一般的に高い
ことがわかっています。
他にも
・X医師(忘れっぽい医師)の柔軟な頭は、思考が早かろうと遅かろうと、働きの優れた前頭前皮質との関係が強く、働きの悪い海馬とはあまり関係していないという見方が妥当
・海馬の機能が正常以下だから意思決定の質が向上した
・海馬の機能に自信がある記憶力のよい人に比べると、X医師のように海馬の機能に疑いを抱いている人のほうが、自分の最初の決断についてじっくり考え、「知的謙虚さ」が高く、真実を慎重に追求する傾向が強い
・ある認知的特徴、なかでも機能が相対的に劣っているという特徴によって、明らかに真実の追究や真実の追跡の妨げになる知的過信(自信過剰)や傲慢が抑えられる
などと書かれています。
医者なんて自信満々な人多そうですからね。
確かに勉強ができる人が多いのだろうけど、「お医者様」なんて周りからちやほやされて勘違いしている人多いです。
ここまで読まれて医学部受験ってどうなんだろうと思いませんか。
記憶力が良い人が合格します。
海馬の機能が高い人たちばかりです。
知的謙虚さがないから、自信過剰だし、傲慢な医者が多いのではないでしょうか。
教科書通りの知識を頭に詰め込み、知的謙虚さがないから、国が言うこともすんなり頭にインプットし、ワクチン推奨の立場を頑なに変えません。
これだけ被害が出ているというのに。そっちには目もくれない。
ワクチン後遺症の患者さんを診ても、知的謙虚さがないからワクチンが原因と疑えません。
自慢の?記憶にばっかり頼っているからなのでしょう。
記憶力の良い(海馬機能が高い)学生が合格するという、医学部受験の弊害かもしれません。
医学部受験戦争が過熱するほど、そんな知的謙虚さがない医者ばかりが量産されてしまうということです。
それだったらAIの診断のほうがまだマシかもしれませんね。
自分も忘れっぽいことは冒頭に書き、知的謙虚さがあるんだぞ、と謙虚に書きたいところですが、謙虚も何もまだまだ知らないことばかり、と思っています。
優れた診断医でもないし。
「医者」という職業のレッテルによって「頭いい」と思われたりしますが、自分のことは自分がよくわかるように、ほんと頭良くないです。
嫌味と捉えられてしまうかもしれませんが、本気で自分が頭いいと思ったことは一度もありません。
だからよく医学部に受かったなと今でも思います(ズルしてませんよ)。
頭が硬い医者が多いのも、受験で海馬機能が高い人たちばかりを集めているから、なのかもしれませんね。
医者というものは医者になってからも努力が必要です。
ですから努力できる人の証として受験勉強をがんばった人が合格するというのは良いのだと思います。
でも努力を海馬機能で評価するのは良くないのかもしれません。
生まれつきの海馬機能の差というのもありますし、X医師のように海馬機能が低いからといって優れた医者になれないわけではありません。
海馬機能が低くても医者として向いている人は多くいると思います。
そういう人が医者になれる道があると良いです。
ちなみに自分が受験した頃の信州大学は、センター試験(共通試験)がメインであり、大学の二次試験(個別試験)は小論文と集団面接だけでした(前期日程の場合)。
つまり最低限の努力の証としてセンター試験はがんばらなくてはならなかったのですが、その先は海馬機能の高さ(記憶力)は求められなかったのです。
だから自分のような忘れっぽい人間も合格できたのかもしれません。
信州大学はそういう意味では特徴的で面白いところだったのですが、だから変わった人が結構いたのかもしれません。
社会人になってから医学部に入り直した人など、人生経験・社会経験豊富な人たちがそこそこいましたからね。
他の医学部事情はわかりませんが、人間味があって良かったです。
もっといろんな形の医学部受験があってもいいように思います。
海馬機能が高い人ばかりだから医者には頭が硬い人が多い説、あながち間違っていないかもしれません。
ということで、忘れっぽいと自覚している人、実はそんなに悪いことではないようです。
逆に忘れっぽいことはすごく大事なのです。
メンタルの安定のためにも。
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ここからは完全な余談です。
8年前に放映されたドラマ「大恋愛〜僕を忘れる君と」をご存じですか?
若年性アルツハイマーを題材にしたドラマで、医者&若年性アルツハイマー患者役の戸田恵梨香、小説家役のムロツヨシが主役のドラマです(敬称略)。
結構評判がよろしいようで、自分はつい最近はじめて観たんですね。
そのドラマでは、小説家役のムロツヨシが書いた昔の小説を、戸田恵梨香が大好きで、本の一節を暗記しているというものがありました。
「砂にまみれたアンジェリカ」というタイトルで、
『空に向かって突っ立っている煙突みたいに、図太く、まっすぐに、この男が好きだとアンジェリカは思った。』
の部分がよく使われていました。
そうしたらちょうどあんな出来事がありました。
大阪で突然地面からにょきにょきと、図太く、まっすぐに巨大な管がでてきたのです。

この画像を見たとき、「砂にまみれたアンジェリカ」じゃん、って思ったのです。
『空に向かって突っ立っている煙突みたいに、図太く、まっすぐ』な感じ。
自分にとってはタイムリーで、しょうもないシンクロニシティでした。
というどうでもいいお話しでした。
