前回の感想集の中に
「骨粗鬆症の友人にマグネシウム最強の話を2回したけど 聞き流されているかんじなので もう もったいないから教えてあげるのやめました。」
というものがあり、最初読んだとき笑ってしまいましたけど、本当時間と労力の無駄ですし、もったいないですね。
骨粗鬆症という医療ビジネスに絡め取られて洗脳されちゃっている状態でしょう。
周囲がどうにかできることでもなく、「本人の気づき」にかかっています。
結局そこなんですよね。
コロナワクチンの時も、いくらデモしたってチラシ配ったって講演会開いたって気づかない人は気づかないし、周囲からは「頭おかしい集団が何かやっている」くらいにしか思われないのがオチです。
そもそも講演会も結局は未接種者の集まりだったりするわけで、コロナワクチンがどれだけ悪いものであるかという確認の場になっているだけだったり、世間の少数派が集まって仲良しこよしの会をやっているだけ、って感じちゃうのです。
一番の目的であるワクチンを信じている人々に対して、どれだけ啓蒙されているのでしょうか?って思っちゃうんです。
ひねくれててすみません。
(未接種者の集まりで)講演をする側にしても、小さな世界で承認欲求を求めたり自己顕示欲を示したりしたいだけなんじゃないの?って思っちゃうこともあるんです。
水を差すような言い方ですけど…。
講演会で言っていることは正しいのは間違いないんですけどね。
一方、国に積極的に働きかけたり、後遺症や副作用で苦しんでおられる人のために活動している先生方は本当すごいと思います。
国に働きかけるとか裁判に関わるとか、慣れない世界の話ですしその労力たるや想像できません。
自分には無理です。
そこまでする心の余裕がありません。
自分もコロナ禍当初の頃だったか2~3回こじんまりとした講演会などやったのですが「なんか違うな」と思ってしまって、それからはお断りするようにしてました(お声がけいただいたのはありがたかったですけどね)。
ネット上にも多くの情報があふれかえっており、正しいもの・怪しいもの玉石混交ですが、講演会に来るような方はきっとネット上でも「正しい」情報を得られる人達ばかりでしょうし。
ヒーロー扱いされて気分良いと思ってしまう部分もあるけど、「なんか違うな」って。
ただただ参加者の「確認の場」みたいになっているだけじゃないかって思っちゃったんです。
もちろん医療の裏側など知らない情報もお伝えはできたと思いますが…。
講演会活動している方々を否定する気持ちはまったくないですよ。
考え方、捉え方の違いです。
中にはこういう活動を目撃したりして、それがきっかけで気づく人もいるでしょうけど、効率は悪いでしょうね。メディアも一切報じないし。
マンツーマンで説得すればいいのか、というと、そうでもないことは皆さんも十分経験済みだと思います。
外来の患者さんも、「打たない方がいい」と言っても結局接種してしまい、その後体調不良になって、改めて「もう打たない方がいい」と説得しても、また追加接種してしまう。
挙げ句の果てには歩行障害をきたしてしまう。
さらには診察時自分がシェディングを強烈に受けるようになる。
この無力感わかります?
しかもシェディングで被害を受けるようになってしまうなんて理不尽も甚だしいです。
家族にだって聞き入れてもらえなかった、という方は多くいると思いますが、説得がどれだけ時間の労力と無駄になったかと感じている人は多くいるんじゃないでしょうか。
どんなに資料を提示しても、確かなデータを見せてもわかってくれないこといっぱいあったのではないでしょうか?
もはや違う世界線に生きている人達であり、こちらがどんなにアプローチしても気づかないし見えないのだと思います。
結局本人の「気づき」なんですよね。
そのタイミングはいつかわかりませんけど、「タイミング」ってあるんですよ。
何事にも。
だから無理矢理説得するようなことはしないようにしました。
超ヤベぇ時は説得することもありますが…。
基本は「本人が気づくまで待つ」。
洗脳やマインドコントロール、催眠術じゃない限り、人の考えを正反対に変えることなんて簡単にできません。
じゃあ「気づき」はどうやって訪れるのか?
どういう「タイミング」でやってくるのか?
そんなのわかりません。
もうそこは「見えない力」によるものでしょうとしか言いようがありません。
頑なにワクチン信じていたのに、突然ふと疑問に感じたり、ふと目にした情報が突然心に刺さったり、まったく予想がつかないタイミングで「気づく」のですね。
不思議なタイミングで自分のブログに出会い、ワクチンを回避できた、という声もこれまで複数いただきました。
その人の「きっかけ」になれたのは嬉しいですが、それはたまたまであり、たまたま自分のブログであったってだけであって、自分のブログじゃなくても何らかの形でその時期に気づくことになっていたはずです。
ご先祖様なのか、高次の自分自身なのか、あるいはもっと大きな存在なのか。
見えないけれど、なんらかのタイミングで必要なときにアプローチしてくるんだろうなと思います。
松果体を通してだかわかりませんけどね。
決して諦めたり投げやりになっているわけではありません。
目の前の「人」もそうですけど、「世の中」も変わるときは変わるし変わらないときは変わらない。
というか「世の中が変わる変わらない」について、実際は自分の「周囲」が変わるのではなくて、「自分自身が生きるステージ(パラレルワールド)」が変わるのが実態なのではないかなとふと思いました。
よく自己啓発本に
「自分が変わることで周囲も変わる」
なんてこと書かれていたりしますけど、実はそういうことなのかもしれません。
パラレルワールドの他の世界を垣間見るなんてこと絶対にできませんから、なかなか実感できるものではないし、そもそも実感できるものではないでしょう。ですからなかなか信じられないかもしれません。
「ハイッ、違う世界線に移行しました!」って体感できればわかりやすいんですけど、そういうものではないでしょう。
自然と流れるように違うパラレルワールドに移行します。
わかりやすいのは「選択肢」があるときですね。
日々選択肢だらけですけど。
例えば道ばたに500円玉が落ちていたとします。
A.拾って自分のものにしてジュースとパンを買う
B.拾って交番に届ける
C.拾わないでそのままにしておく
いろんな選択肢があります。
例えばB.を選択したら、正直面倒くさいですよね。
時間のロスにもなります。
こういうときはたいてい警官の態度は悪くないでしょうが、上から目線の態度悪い警官に当たってしまうと無意味に腹立ったりしてしまいます。
「このくらいで届けに来るなよ。めんどくせぇな。」なんて心の声が聞こえるかもしれません。
しかし交番に届けることで、「後ろめたさ」の気持ちはなくなりますし、「良いことしたぞ」って謎の自信を持つこともできます。
「時間」だけを考えたらロスになりますが、ひょっとしたらそれによってその後の起こる事象のタイミングが変わるかもしれません。
交番で時間を費やしたおかげで、そのあとたまたま街中で昔の仕事仲間に出会うとか。
そして新しいビジネスの話が生まれるとか。
こんな劇的なドラマティックなことはそうそうないかもしれませんが、あえてわかりやすいように大げさに書いてみました。
あるいは交通事故に巻き込まれずに済んだとか。
あるいはその警官が運命の人だったり。
日常ではもっとささいなことかもしれませんが、そんなささいな変化が起きて、その後の人生が変わるってこともあり得ます。
C.を選択したら、本当に食事に困っている人がそれを目撃していて、その人が拾うかもしれません。
その人にとってもA~Cの選択肢が生まれるわけですが、A.を選んだとしてもその人に対して遠回しに良いことをしたような感じになります。
ひょっとしたらその人、いずれ大富豪になってお礼をしてくれるかもしれません。
「あのときの500円で人生変わったんです」って。
安っぽいドラマにすらなさそうな完全妄想の世界です。
こんな劇的なドラマティックなことはそうそうないかもしれませんが、あえてわかりやすいように大げさに書いてみました。
自分が選ぶ選択肢って、結構周囲にも影響を及ぼすのですね…。
500円玉を拾う拾わないくらいではそうそう大きなパワレルワールドの移行、というふうにはならないかもしれませんけど、大きな選択肢の時はあるでしょうね。
まぁ、運命であるとか寿命がある程度決まっているとか、地球で学ぶこと・シナリオはある程度決めて生まれてくることを考えると、自分の「意志」で選択しているように見えても、実は「選ばされている」ということもあるかもしれませんけどね。
ってなると、良い平和なパラレルワールドに移行するとしたら、それもあらかじめシナリオに組み込まれていたのか?とか、自己啓発本読んだって意味ないじゃん、とか色々思ってしまうわけです。
見えない世界のことを考え出すとグルグルなります。
でもシナリオがあったのでないかというくらい、タイミングバッチリのことってあったりしますよね。
シナリオ通りに動かされているのか、自分の意志で動くことによって現実が変わっていくのかわかりませんが、どっちもあるのでしょうね。
おおまかなシナリオはあるだろうけど、結構余白があるというか。
じゃないとやっていられません。
努力するのも無意味だとか思ってしまうと、自暴自棄になってしまう人も出てくるかもしれません。
悪いこといっぱいして警察に捕まっても「シナリオ通りです」としか答えない。
裁判でも「シナリオ通りです」としか答えない。
いよいよ精神鑑定に回されるかもしれませんけどね。
いや、「計画的な犯罪か」って疑われてより重罪になってしまうかもしれません。
もはや何を書いているのかわからなくなってきました。
やはりいろんなパラレルワールドはあると思うのです。
おおまかなシナリオがあったとしても。
大きな選択肢によっても世界線は変わるだろうし、日常においても自分の周波数とか振動数が変わることで日常も変わってくるでしょう。
それは次元が上がっているとも言えそうですが、それまたパラレルワールドの一つかと思います。
おおまかなシナリオに沿っての人生の流れはあるだろうけど、その中でもパラレルワールドの違いはあるのでしょう。
だから自己啓発本の意味もあるでしょうし、少しでも自分の周波数とか振動数を上げていけたらいいですね。
日常は平和になるはずです。
で、おおまかなシナリオの中に「気づき」のタイミングも組み込まれているのでしょう。
頑なに頭が固かった人が、「えっ?そこで気づく」ってタイミングで考えが変わることもあります。
だからもう「待つ」しかないなと思いました。
ここで気をつけなくてはいけないのが、「シナリオ」ばかりに捕らわれてしまうと、なんも頑張る気しなくなってしまいます。
どうせシナリオ通りなんでしょ、って。
シナリオにも余白があるんじゃないかって書きましたけど、偏った考え方をしないことが重要ですね。
ですから気づくタイミングも少し早められるんじゃないか?とも思うんですけど、そこはなかなか変わらないんですよね…。
見えない世界の話なんて真理なんてわからないしいくらでも想像でものが書けちゃうんですけど、人によって合点がいく話とかあると思うんです。
いろんな人がいろんなこと言ってますけど、いいとこ取りすれば良いのです。
自分が納得いく考えを受け入れれば良いし、自分の考えを他人に押しつけないことも大事です。
あの世があるかないかだって、死ななきゃわからんし、死んだところでこの世にレポートとして届けたりフィードバックできる訳でもないし、考え方は人それぞれです。
「あの世なんてない」と主張する人がいても、「わかってねぇな」なんて思わずに、「そうんなだ」と相手を尊重する。
いろんな人がいる、考えが皆違う、というのが地球なのですから。
「みな違う」のが大前提なのです。
だからワクチン大好きな人もいるし、悪人だっています。
それが地球です。
悪人を尊重する必要はないですけど、その存在も「学び」です。
いろんな出来事が「学び」です。
理不尽なこともいっぱいありますし腹立つこともいっぱいあるでしょう。
でも腹立ってもいいと思うのです。
人間だから。
それが人間というものだから。
なんだかポエムっぽくなってきたし、何書いているかわからなくなってきたのでこの辺にしときます。
言いたかったことは、
「気づくタイミングもシナリオに組み込まれているんじゃねぇの?」
ってことです。
だってどんなに心から心配して、データそろえて説得してもちっとも心に響かないんだもん。何も疑いようのないデータ見せても相手に伝わらないんだもん。
シナリオに組み込まれている「気づき」のタイミングはそうそう変わるものではないのかもしれません。
※ここには現代医療礼賛の「洗脳」も関わってくるため、それを踏まえて考察するとなると頭から煙が出そうなのでこの辺でやめときます。
