あきらめない

年齢を重ねるごとに、体のあちこちで不調が出てきます。
そんなときは「年のせい」と考えてしまうかもしれませんが、
自分は「年のせい」にはしたくありません。
診察でも、この言葉はまず使いません。

なぜなら、同じ年でもその不調がない人もいるから。
何か原因があってその不調があるわけで、対策も何かしらあると思うのです。
「年のせい」と言われてしまったら、あきらめるしかないじゃないですか。
何か対策はないか、一緒に考えていきたいと思って診療にあたっています。
自分だけの頭では思いつかないときは、看護師さんにも助言を求めたりします。
一人の頭で考えるより、たくさんの頭で考えていろんなアイディアを出した方が
良いに決まっています。

現代は、認知症や癌の患者さんが増えています。
どちらも、「不治の病」というイメージが強いですよね。
これもあきらめられてしまう代表的疾患です。
認知症は現在は抗認知症薬などは出ていますが、決して決定的治療ではありません。
処方薬だけで認知症を治すことはできません。

じゃあ、指をくわえて、どんどん進行していくのを見ていくしかないのか…。
決してそんなことはありません。
たとえ重度の認知症で、コミュニケーションがうまくとれない患者さんでも
自分はあきらめません。
脳の神経細胞は一度死んだらもう元には戻らないと言われていましたが、
神経細胞は常に生まれています
何歳になっても海馬では1日700個新たにできているともいわれています。
3月にも、87歳でも脳の神経細胞は作られているという論文が発表されました。
脳により栄養をしっかりと補充してあげて、うまく刺激してあげれば
脳を長持ちさせられるのではないか、あるいは少しでも脳機能が回復させられるのではないかと考え治療をおこなっております(脳にたまった重金属の解毒のことも考えた方が良いですが)。
実際の自分の例では、うまくコミュニケーションがとれなかった方が、簡単な質問には的確に返答できるようになった方がいます。
「認知症はただ進行していくだけ」と、ご家族も諦めの境地に達してしまっている方が多いとは思いますが、少しでも的確な言葉が返ってきたりすると、本当に介護疲れも吹き飛んでしまいます。
自分もすごく嬉しく感じます。

そして末期癌です。
末期癌の患者さんは、手術も放射線療法もできないことが多く、抗癌剤が選択されます。
しかし抗癌剤を繰り返しおこなっていくとだんだん効果がなくなっていき、
「もうやれることはありません」と見放されてしまう方がいます。
「癌=死」というイメージが強く、癌は不治の病というイメージが強いです。
しかし前回、前々回のブログにも書きましたが、末期癌と診断されても
そこから癌を克服している方、癌が消えてしまった方がたくさんいます
よく「奇跡的に消えた」と言われていますが、「奇跡」ではなく「必然的に」だと思います。
克服した方は、やはり何かしらの治療をおこなっているのです。
治療といっても、手術とか抗癌剤ではありません。
食事療法であったり、副交感神経を高めてあげたり、心をサポートしたり。
瞑想やヨガ、鍼灸なども含まれます。
単一の治療では難しいとは思いますが、いろいろと組み合わせて行うことにより
癌を克服できるケースがあります。
根本治療は自分で行うものです。

現代医療が癌を克服できていないのは明らかです。
代替医療・伝統医療を評価し始めているアメリカでは癌の死亡率は減少に転じています。
しかもそれはもう1990年頃から減少しているのです。約30年前からですよ。
実はちょうどその頃からアメリカでは代替医療・伝統医療が見直されているのです。
日本はどれだけ時代遅れなのかと暗澹たる気持ちになります。
日本ではいまだに、「代替医療・伝統医療は怪しい」というイメージが強いですよね。
しかしそれで良くなっている人も確実にいるわけで、その事実を
現代医療にどっぷりつかっている医療者も謙虚になって受け入れるべきです。

何がその人に効果があるかはわかりません。
試せるものなら試してみるべきでしょう。
しかし何百万もする高価な治療とか、明らかに怪しいものはおすすめしませんが…。

医療者の側も、「どれだけいろんな治療法を知っているか」が大切だと思います。
でも現実は、大半の病院では癌治療には手術・放射線・抗癌剤だけをおこなっており、それだけやっていれば誰からもとがめられることもありません。

手術・放射線・抗癌剤をすべては否定しません。
しかしそれらをやっても効果がなかった場合どうするのか。
現代医療では、見捨てられます。
他に方法がないのですから。
緩和ケアを勧められるだけでしょう。

だけど自分はあきらめたくはありません。
そこから復活している人もたくさんいるのですから。
医療者は「自分の家族だったらどうするか」という気持ちを忘れてはいけません。
うわべだけの気持ちではなく心からです。