寿命は決まっているのか?

人の死を経験したり、話を聞いたりすると、
「人の寿命は決まっているのか?」
と感じることがあります。

特に不摂生をしていたわけでもないのに早く亡くなってしまう人がいる一方で、
不摂生しているのに長生きしている人もいます。
あるいは何回も脳梗塞やら癌やら経験しながら、それらを克服している人もいます。

一般的にタバコは体に悪い、ジュースは体に悪いと言われています。
しかし、世界で一番長生きした人はフランス人のカルマンさんという方で
122才まで生きたようですが、117才までタバコを吸っていました。
(ちなみにこの長寿記録には疑義が生じているそうで、娘と入れ替わっていたという説もあるようです。詳しくはWikipediaで。)

あるいは、「ナニコレ珍百景」という番組にでていましたが新潟県長岡市の
医師であり僧侶でもある上原先生は、90才で往診もしているくらい元気な方ですが、タバコを吸い、食事中の飲み物はコーラだそうです。

事故や災害で亡くなられた方を考えると、「寿命が決まっていた」とすると
なにか運命論的な話になってきます。

確かに、生まれる前に「自分の人生のシナリオ」を決めてきたという考え方もあります。
そう考えると、先のことを無駄に心配したり思い悩んだりする必要がなくなりそうです。

ただ「寿命が決まっている」としたときに、
「そしたら医学の役目ってなんだ?」とふと思ってしまいました。
寿命が決まっているのなら、医療の役割ってなんなんだろうと。
助かるも助からないもすでに決まっているのなら、そこに医療が介入する意味はあるのか?

しかし医療によって現に良くなっている人はたくさんいます。
ここで運命論、人生のシナリオが決まっているという考え方を持ち出せば、
ひょっとしたらどこでどういう治療法に出会うかも決まっているのかもしれません。
あるいは、どんな治療法だろうと助かる人は助かる運命なのかもしれません。

なにか宗教チックな話になってきましたが、自分は特定の宗教などには属していませんので…。
(かといって、一般的な宗教を否定はしていません。人に迷惑をかけなければですが。心のよりどころになれば信仰は良いものだと思います。)

「寿命は決まっているのか」は、自分の父の経過を見ていて強くそう感じました。
医学の枠を超えたようなスピードで進行していきました。
冷めた目でみれば、発見されたときにはすでに肝転移も進行していたからと考えることもできますが、それにしてもあまりにも急激な進行でした。
そもそも、なぜこんなに手遅れになる前に見つからなかったのかということもあります。
確かに膵臓癌は症状が出にくく、発見されたときにはかなり進行しているケースが多いです。

父は、体に何か不調があったらすぐに病院に行くタイプの人間でした。
あれだけ進行していれば何らかの症状があったとしてもおかしくありません。
なぜ今回ばかり最後の最後まで病院に行かなかったのか。
そもそもなぜ、膵臓癌になったのか。
お酒も飲まないし、甘いものが特別好きだった訳でもないのにです。

不摂生をしていない人が癌と診断され、あっという間に亡くなってしまう。
そんな話を聞くとやはり「寿命は決まっている」と思ってしまうのです。

 

「寿命が決まっているんだったら、健康のことなんか気にせず、不摂生ばかりして楽しく生きていけばいい」ということにもなりかねませんが、日常をより健康的に生きていくためには、やはりふだんの食事を考えていった方が良いでしょう。
健康に寿命まで全うするか、不健康に寿命まで全うするかは、自分でコントロールできるのかもしれません。
いや、「自分でコントロール」といいながらも、そうするかどうかもすべて運命で決まっていること、すでに決まっている人生のシナリオなのかもしれませんが…。

どこでどういう知識に出会うか、それを実行するかどうかも決まっていることなのかもしれません。