まずはタイトル通りの本を紹介します。

実はこの本に書かれた記事について以前ブログで紹介しています。
やわらかい頭 (2024年9月9日)
死後の世界はどうなっているのか、すごく興味のあるテーマで、「死後もその人の個性は残るのか?」が気になるところです。
このことについては最近ブログに書きました。
死んだらどうなるか問題 (2025年11月25日)
現世に残されたものとしては、家族や大切な人が亡くなったあと、死後の世界でもその人の個性が残るといいなと思います。
ただし、上記ブログでも紹介しましたが
「人は死んだら、絶対無限の存在(創造主、ソース)に戻る、融合する」
という考え方もあり、「前世、輪廻転生、生まれ変わりはない」との主張もあります。
で、冒頭の田坂氏の考えによれば「ゼロ・ポイント・フィールド」がキーワードになるかと思いますが、これはいわゆる他の人が言う「絶対無限の存在(創造主、ソース)」と同じようなものだと思います。
そして田坂氏はこのように書かれています。
『「(現実世界を生きている)現実自己」が死を迎え、消え去った後も、ゼロ・ポイント・フィールド内の「(深層世界を生きている)深層自己」は、残り続ける』
つまりは、現実世界の自分とは少し変化して、ゼロ・ポイント・フィールドに生き続けるという考え方です。
そして
『「現実自己」の中心にあった「自我意識」(エゴ)が、「深層自己」においても、しばらく中心的な役割を果たす』
と書いています。
つまり、肉体の死後もしばらくは個性は残る、ということでしょう。
自分もそう思います。
これが臨死体験や幽体離脱と呼ばれる現象と関わっているのでしょう。
で、やはり知りたいのはその先の話です。
田坂氏は
「ゼロ・ポイント・フィールドに移った「自我」(エゴ)は消えていく」
と書かれています、つまり
『それは、「私」が消えていくことを意味している。』
と書いています。
しかし、
『消えるのは「個性意識」としての「私」であり、決して消えない「真の私」がいる。』
とも書いています。
また
『「自我」が消えることによって、「世界」と「私」を隔てていた強固な「自我の壁」が消えるため、我々の意識は、すべての情報や知識や叡智に触れることができるのである』
とも書かれています。
ゼロ・ポイント・フィールドにはすべての情報があると言われており(過去・現在・未来を含む)、現世での自分を規定していた壁が取り払われることによって、ゼロ・ポイント・フィールドに移るとそれらの情報に触れることができるということなのですね。
これを田坂氏はこのように表現しています。
『すなわち、我々の意識は「私」を忘れ、「すべて」を知るのである』
と。
やはり、現世とまったく同じ個性が維持されてあの世にいるということではなさそうです。
そして「深層自己」の中の我々の意識は、「自我を超えた意識」、すなわち「超自我意識」と呼ぶべきものになっていく、と書いています。
「死後、肉親と再会できるか?」というテーマに関して、
・我々がゼロ・ポイント・フィールドで再会するのは、「自我意識」が消えていき「超自我意識」となった肉親である。
・ゼロ・ポイント・フィールドで「再会」する肉親は、ある意味で、生前のイメージのままの肉親である。(中略)しかし、それは、実は、我々の意識が生み出すものである。
・我々の意識は、死の直後、ごく自然に、すでに他界した肉親に会いたいと思う。すると、その想念が、ゼロ・ポイント・フィールドが記憶している肉親の「様々な情報」(外見や表情、言葉や仕草、感情や想念、知識や叡智など)を引き寄せ、そこに、懐かしい「肉親のイメージ」を生み出すのである。
・しかし、やはり、それは、現実世界での「再会」とは違う。それは、ゼロ・ポイント・フィールドにおいて、我々の「自我意識」が、フィールド内の肉親の「様々な情報」を引き寄せ、生み出した「肉親のイメージ」と「再会」し、「対話」をするのである。
・ゼロ・ポイント・フィールドが、我々の「自我意識」の願いを感じ取り、フィールド内の肉親の「様々な情報」(外見や表情、言葉や仕草、感情や想念、知識や叡智など)を集め、それを「人格化したイメージ」として現すのである。
まとめてこのように書かれています。
『死後、ゼロ・ポイント・フィールドにおいて、我々は、懐かしい肉親と「再会」することはできる。しかし、それは、フィールドに、その肉親が「自我意識」(エゴ)を持って存在し続け、我々の「自我意識」と再会するのではない。
ゼロ・ポイント・フィールドで「再会」するのは、たしかに、かつての外見や表情、言葉や仕草などの個性のイメージを持った「肉親」であるが、その「人格イメージ」の奥にあるのは、すでに「自我意識」が消え去った肉親の意識、すなわち、「超自我意識」へと変容した肉親の意識である』
つまり現世の肉親とは中身が違い、パワーアップ?した、あるいはレベルアップした肉親ってことでしょう。
で、「超自我意識」とはどのような意識かについては、
『自分と他者を分けず、自分と世界を分けない「自他一体」の意識であり、古くから「愛一元」と呼ばれてきた意識でる』
と説明されています。
「愛しかない」「すべては一つ」
ということです。
つまり「Oneness(ワンネス)」です。
で、ここから自分が一番伝えたかったことです。
「故人や肉親は、ゼロ・ポイント・フィールドに移った後、現実世界の我々を導いたり、守ったりすることがあるのか?」
についてです。
誰にでもあるかもしれませんが、ご先祖様に守られている、と感じたり、そのような体験をしたことがある人は多いでしょう。
しかし田坂氏はこのように書かれています。
『(故人や肉親に導かれた、守られたという体験について)それも、やはり、ゼロ・ポイント・フィールド内に「自我意識」(エゴ)を持った肉親が存在しているからではない。肉親の「自我意識」が、「導こう」「守ろう」と思っているからではない。』
『それは、実は、我々の心の奥深くの無意識の世界に、「すでに他界した肉親に導いてもらいたい」「すでに故人となった肉親に守ってもらいたい」といった想念があるからであり、その想念が、ゼロ・ポイント・フィールドに存在する肉親の「超自我意識」を通じて、「必要な情報」や「良い情報」を引き寄せるからである。』
で、ここからが一番大事です。
『本来、我々は、無意識の世界を通じて、ゼロ・ポイント・フィールドに繋がり、そこから、様々な情報を得ることができるのであるが、表面意識の世界に、「あの情報が欲しい」「この情報を得たい」といった「自我」(エゴ)の想念が強く存在すると、それが、むしろ、このフィールドにつながることを妨げてしまう。
これに対して、「すでに他界した肉親に導いてもらいたい」「すでに故人となった肉親に守ってもらいたい」といった想念は、愛情や思慕と結びついたポジティブな想念であり、あまり「自我」(エゴ)が強く表れた想念ではないため、我々の意識が、ゼロ・ポイント・フィールドに繋がりやすくなるのである。』
『肉親の「超自我意識」は、我々の願いに応える「必要な情報」や「良い情報」を、容易に引き寄せることができるのである。我々の意識が「肉親の超自我意識」に繋がることが大切な意味を持つと述べるのは、それが理由である。』
『遺族が、本当に「両親は、天界から、自分を導き、守ってくれている」と深く信じるならば、その想念が、実際に、その天界(ゼロ・ポイント・フィールド)から、両親の「超自我意識」を通じて、「必要な情報」や「良き情報」を引き寄せる』
そして田坂氏は、遺族の方々に、日々の習慣として、他界した肉親を心に抱きながら、「導きたまえ」「守りたまえ」と祈ることを勧めているそうです。
なぜなら、「祈り」とはゼロ・ポイント・フィールドに繋がる最良の方法であるから、とのことです。
自分は毎朝、亡くなった肉親の遺影(小さな写真ですけど)に手を合わせることを日課としてします。
以前ある人に「もうしなくていいんじゃないか」と言われたことがありますが、意味がわかりません。
人に指図されるものでもありません。
そんなアドバイスされたことが衝撃的すぎて今でも忘れられません。
そんなのは無視して、ずっと毎朝手を合わせています。
そして、隕石にも手を合わせて宇宙レベルで、神社のお札に手を合わせて日本レベルでお祈りしてます。
お祈りというか感謝の気持ちを伝えているというか。
隕石はたぶん本物です。確かなところから手に入れたので。
偽物でただの石だったらウケますけど…。
まぁ信じるものは救われるってことです。
あっ、今年亡くなったチワワにも毎朝手を合わせています。
「たくさんの癒やしと幸せをありがとう」って。
隕石→神社のお札→肉親→犬
の順に手を合わせ、最後にメダカ(二匹だけ…)に餌あげて出勤です。
亡くなった後は、現世の自我(エゴ)はいずれ無くなっていくということです。
現世でのちっちぇえ人間のまま存在するのではなく、愛の塊のようなものに変貌するということでしょう。
(ちっちぇえなんて、故人には失礼ですが、自分に例えた話です)
その意味では、「現世のその人そのまんま」があの世でも残り続けるということではないようです。
でも「超自我意識」としては残り続けるのです。
そして肉親を通して祈ることでゼロ・ポイント・フィールドに繋がりやすくなるとのことです。
肉親でなくともペットでも繋がりそうです。
ペットこそ現世から「愛の塊」ですからね。
ちなみに田坂氏は、この「超自我意識」は「人類意識」「地球意識」「宇宙意識」へとどんどん拡大していくと説いています。
そしてこの「宇宙意識」は我々の本来の「故郷」であると書いています。
それを「大いなる帰還」と表現しています。
「私」とは「宇宙意識」そのものに他ならない。
そういう意味で「死」というものは存在しないと説いています。
著者も自分で書いておりますが、あくまで「仮説」です。
『筆者は、あなたに、何かの思想を押しつけるつもりはない。』
『現段階では、どこまでも「仮説」にすぎない』
『そのことに対して、筆者は、どこまでも謙虚であるべきであろう』
『「死後の世界」について、どう考えるかは、いずれ、最後は、あなたの思索に委ねられている』
と最後の章で書いています。
一流の人はいつまでも謙虚です。
結局は死後の世界について考え方は人それぞれです。
いろんな人の考えを知って、自分の中にスッと入ってくるものを受け入れればいいのでしょう。
もちろんオリジナルの考えを持っても良いと思います。
最後に、著者は本の最初の方でこのように書いています。
『「科学」というものが、現代における「最大の宗教」になっている』
科学で説明できないことは山ほどあるのに、科学科学と頭の硬い人間は、もはや科学教の洗脳された信者ですな。
