無遅刻

みなさん、最近ニオイはどうですか?
(前回のブログも同じ書き出しでした…)

今札幌はスゲぇ雪です。
ヤベぇ雪です。
風も強いし、視界不良です。
先ほどクリニック前を除雪してきましたが、ズボンびしょびしょです。

で、夕方どきなので、多くの通勤の人が通ります。
しかもクリニック周辺は結構大きな病院がいくつかあるので、その職員とおぼしき人達が通るのですね。
そう、ほぼ接種者でしょう。
みんな雪かいている目の前を通って地下鉄の駅へ向かっていくのですが、結構クサイ
まじに。
すんげぇ頻度で強烈なニオイがやってきます。
嵐のような強風の雪の中でですよ??

まるでニオイの成分のみは風に関係なくその場にとどまったりしているかのようです。
本当にニオイの挙動は不気味です。

で、宇宙天気予報でスポラディックE層を確認したのですが、「活発」なんですよね…。
スゲぇ臭うのに。
関係ないのかもしれません…。

と前置きはこの辺にしときます。

今回はまず本の紹介をします。

病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ

この本はコロナ禍直前に出版されたものです。
ですからワクチンがどうのこうのとかは書かれていませんのであしからず。

結論から言うと、風邪だとかインフルが流行するのは、学校だとか会社とか休めない雰囲気があるのが大きな原因ではないかと問いかけています。
皆勤賞だとかなんだとかありましたよね。
今でもあるのかわかりませんが。
もちろん他の要因についても書かれています。
この本の著者の方(医師)、結構熱い感じで、共感できる内容が多かったです。
ゾフルーザ(インフルエンザ治療薬)の問題点についても言及されていましたし、全般的に日本の医療費について結構触れられています。

防衛費についても触れれており、
『国家同士のいがみ合いがなくなれば、軍事力増強というムダな支出が、各国の国家予算から削減され、その分がその国に生きるすべての人の生活の充実に充てることができるようになるのだ』
と書かれています。

そういえば自分も同じようなことブログに書きました(この本が出版されてからの記事ですが、本を読む前に書いたものです)。
戦争と平和 (2025年10月3日)

ここで
『戦争を考えなくて良い世界になったら、このお金がまるまる他のものに使えるのです。
いまや社会保障費が大変なことになっていますが、そんな問題もすぐに解決できるでしょう。
あるいは人・モノを破壊するために技術革新するのではなく、人のためになる技術の開発に費用を回せます。』
と書いていました。

「他国からの侵略を防ぐために軍事力増強は必要だ、武器は必要だ」という意見に対して、著者は
『武器を持つことによって、いっそう人の命が危険にさらされることになる』
と述べています。
軍事力を増強すれば、他国もより強力な武器を準備し、それを見てまたさらに強力な武器を準備し…とキリがありません。
ということです。
著者は「安全保障のジレンマ」と書いています。
お互い超強力な武器をそろえたところで何かいさかいが起きたら、人類が多大な被害を被ることになってしまいます。
自分は「戦争という概念」がなくなればいい、そんな世界になったらいい、とブログに書きました。
「戦争」という言葉自体がない世の中です。
「戦争」という言葉を聞いて、「えっ?どういう意味?」という世の中です。
著者は、周辺国ともみんな仲良くやればいい、とより現実的な?ことを書かれています。

ちなみに突然話は変わりますがまだ今回のブログの本題に入っていません…。
上記の「皆勤賞」つながりでのお話しです。

自慢じゃないですが(自慢してませんけど)、自分、高校の時「無遅刻・無欠席」でした。
たぶん。
「無遅刻」は間違いありません。

ただこの「無遅刻」には「ある一人の女性の助け」があったという心温まる素敵なエピソードです。

当時高校生だった関根少年は、自宅から高校まで自転車で通学していました。
片道30~40分かけてです。
雨の日も自転車シャカシャカ漕いでがんばって通学していました。

である日のこと、学校まであと3分の1くらいの距離まできたところで、なんと自転車がパンクしてしまったのです。
「こりゃもう間に合わないな」
と諦め、自転車を押してトボトボ歩いていました。

そうしたら後ろから自転車に乗ったおばちゃん(といったら失礼なので女性とします)が「どうしたの?」と、突然声かけてきたのですね。
「自転車がパンクしちゃって…」
と話したら、なんとその女性、
「私の自転車に乗って行きなさい。私はその自転車もって職場に置いておくから。」
と言うではないですか。
そんな信じられない申し出に乗っかることも素直にできず遠慮したのですが、相手の女性も引き下がりません。
そして超お言葉に甘えてそのようにさせていただきました。
もう女神にしか見えませんでしたね。
というか信じられません。
本当に雲から今降り立ってきたかのようです。

一応「ダサイタマ」とはいえ、都会の端っこではあります。
見ず知らずのどこの馬の骨だかわからん高校生に、自分の自転車を差し出すとは。

今でも覚えています。
白い自転車。後ろにもカゴついている感じの。
その女神、すごく小さい方だったのですね。
ですからそのまま乗ると、ヤンキーのようにガニ股で漕ぐ感じになってしまいます。
ですのでサドル少し上げさせていただきました。
それでも半分ヤンキーちっくな感じの乗り方になってしまうのですが(形もモロにママチャリ仕様でしたので…)、なんとか乗り方のコツを早く習得し、必死に漕ぎました。
思春期真っ盛りの関根少年はちょっとダサい(といったら失礼ですが…)ママチャリに乗っていることに少し恥ずかしさを感じながら(男子校のくせに)、学校に滑り込みました。

これがなければ絶対に3年間無遅刻はあり得ませんでした。

ちなみにこの女性は通学路途中にある病院の「看護師さん」でした。
当時から看護師さんに助けられていたんですねぇ。

夕方その病院に寄って自転車をお返しし、自分の自転車を引き取って自転車屋さんで修理してもらって帰ってきました。
もちろん後日改めてお礼に伺いました。

もう30年以上前の話になりますが、古き良き日本の時代、ってわけでもないです。

逆の立場だったら同じことできますか?
その女性は自分も通勤だったのです。
自分は余裕あるからとのことで貸してくれたのでしょう。
だからって同じことできますかね?
ありえない話の極みみたいな感じです。

今思い返しても本当に「女神」だったとしか思えません。
ありゃ本当に神様だったのかもしれません。

自分は2年間浪人していますし、大学入試で「無遅刻」がどれほど評価されるのかわかりませんが(まったく関係ない可能性も高いですけど)、大学入試で同じ点数だったら、やはりそこはひょっとしたら「無遅刻」の人が選ばれるかもしれません(面接もあった大学でしたし)。

今の自分があるのもひょっとしたらその女神のおかげかもしれません。

本当、人との出会いって不思議ですし、自分は多くの人に助けられているなと実感します。
この話を思い出すと、感謝の気持ちに包まれます。
みんなに「ありがたや、ありがたや」って思います。

ちなみにその病院まだあるのかなぁと思って地図を見てみたんですけど見当たらないのですね。
再開発とかでなくなってしまったのかもしれません…。

もっと早い時期にでもまたお礼に行っとけば良かったと今さらながら思います。
あのときの坊やが医師になったなんて…と驚かれたかもしれません。
あるいは「なに?クソ医者になったのかよ。ちっ。」と思われたかもしれません。
看護師さん、医師に対してあまりよい気持ち抱いていないことありますからねぇ…。
いや、あの女神ならそんな風には思わないでしょう。

という「無遅刻」にまつわるあり得ない出来事のお話しでした。